「柚味噌の事」正岡子規 | 随筆の中の味噌みそ

随筆の中のみそ「柚味噌の事」 正岡子規

「柚味噌の事」 正岡子規

 

柚味噌は秋(晩秋)の季語で、正岡子規(1867〜1902年)も多くの句を残しています。
子規の柚味噌の句はこちら

 

『子規全集』の第4巻に「柚味噌の事」という文章を見つけました。『ホトトギス』第三巻第二號(1899年/明治32年発行)に掲載されたものです。

 

800字程度の文章なので、全文引用します。

 

「柚味噌の事」
 
 柚味噌の句を投じ来りし人、十人の中九人は柚味噌の何物たるを知らざりしかば、従って選に入りし句数甚だ少なかりしは我遺憾とする所なり。
 柚味噌の読みやうを知らぬ人さへ多かりしがこは「ゆみそ」と読むなり。場合により「ゆずみそ」として四字に用ゐるも善けれど「ゆずみそ」を正訓と思へるは誤れり。
 柚味噌の製法は、柚子の枝つきたる方を茶釜の蓋位の割合に切り、中の實を悉くほぜくり出し、其實を味噌に交ぜて摺り、其味噌を其柚子の中に詰めて之を焼き喰ふなり。柚味噌の釜といふは其柚子の皮の事をいひ、蓋といふは蓋の如く切りたる部分をいふ。
 これは利休が太閤のもてなしに始めてこしらえたる者といひ傳ふれば茶人などは今も珍重するにやあらん。されば此しやれたる喰物は田舎よりは寧ろ都あたりに多く行はれたらんを、田舎の御馳走とのみ思へる人あるは想像の誤なり。我曾て京都の新京極に行きて柚味噌を買ひたるに杉皮の長き箱に柚味噌三個入れてあり。杉皮の箱は柚味噌につりあひて面白き配合なりき。
 柚子の實を味噌に摺り混ぜたる者を柚子には入れず曲物に入れて京などに売り居れり。これも柚味噌に相違なけれど、こればかりにては何の趣味も無き事なり。俳句にて柚味噌といふはどこ迄も柚子の皮に入れたる者として詠むべし。
 柚子の無き地方はせん方も無し。柚子ある地方の諸君はこゝろみに柚味噌を製して味ひ給ふべし。味のかうばしきもさるものながら、形の雅なづ、色の黄なる、自ら之を焼く様のわびたるなど俳趣は柚味噌と共にふつゝゝとして湧き出て来らん。
 馬琴の歳時記に編笠柚味噌といふ事あれどこれは普通の柚味噌の外に一種の製法を発明したる者とおぼし。馬琴は普通の柚味噌を知らざりけん、此變則柚味噌をのみ挙げて柚味噌の解となす。馬琴の實際に疎き事概ね此類なり。
 

『子規全集〈第4巻〉俳論俳話』 (1975年)

 

内容は "柚味噌の句を詠もうと思って来た人の10人中9人は柚味噌がどういうものかも、読み方さえもわかっていなくて残念だ" という苦言と、"馬琴の歳時記に柚味噌の説明があるが間違っている。そもそも馬琴が実物を知らない。実物を知らない馬琴はその程度" という批判です。

 

馬琴とは曲亭馬琴(1767〜1848年)のことで、江戸時代の読本作者です。正岡子規に遡ること約20年前の人。

 

曲亭馬琴『俳諧歳時記』

 

馬琴の『俳諧歳時記』は1803年(享和三年)に上梓されています。
これを整理増補したのが藍亭青藍の『増補 俳諧歳時記栞草』1851年(嘉永四年)刊行で、こちらで馬琴の柚味噌が確認できました。

 

柚味噌 [滑稽雑談] 近世、編笠柚味噌といふものを作る。柚一箇を二片となし、瓣核を去、熱湯に投れて軽くならしめ、取出し乾し置て、柚味噌に用ふる所の味噌を、其処に盛り包み、編笠の形になし、よく蒸して用ふ。祇園の茶店、関東何某始て製する所也。
 

『増補 俳諧歳時記栞草〈下〉』 (岩波文庫) 曲亭馬琴 編 / 藍亭青藍 補

 

『滑稽雑談』(1713年 四時堂其諺 著)を引用した内容になっていますが、確かに編笠柚味噌だと柚子の切り方、味噌の詰め方、焼くか蒸すかも子規のいう柚味噌と異なります。
果汁を混ぜた味噌は、柚子の釜に詰めるのも「柚味噌」の必要条件のようです。

 

馬琴の『俳諧歳時記』は季節や月ごとに2629の季詞が収められた季語辞典のようなもので、歳時記を片手に俳句を志したもの。と想像すると、子規はこの間違いを苦々しく思い、近頃の詠み人たちの無知への静かな怒りがこの文章となったのでしょう。

 


トップページ ワークショップ お問合せ English