『14歳からの戦争のリアル』 雨宮処凛 | 随筆の中の味噌みそ

随筆の中のみそ『14歳からの戦争のリアル』 雨宮処凛

『14歳からの戦争のリアル』 雨宮処凛

 

『14歳からの戦争のリアル (14歳の世渡り術)』

 

 

 

作家で活動家の雨宮処凛(あまみやかりん)氏(1975年〜)によるインタビュー記事集。2015年7月刊行。第8章に、女優 赤木春恵さん(1924年〜)の「女優が見た戦争」があります。

 

TVドラマ「渡る世間は鬼ばかり」での姑役が記憶に新しいですが、同じくTVドラマ「3年B組 金八先生」では桜中学の君塚校長役を演じられていました。

 

赤木春恵さん演じる桜中学の君塚校長と戦争に関しては、第2のシリーズでの場面が記憶に残っています。
桜中学の学習発表会で3Bの男子生徒が特攻隊の恰好をして壇上で挨拶。その姿に呆然とした君塚校長のアップ。壇上で涙ながらに苦言を呈しました。
君塚校長の兄は特攻隊で出征して戦死した、という設定だったと思いますが、この書籍インタビューでも兄を戦争で亡くしたこと、戦後の満州では暴行や強姦と隣り合わせだった恐怖、伝染病で命を落としかけたことなどが如実に語られています。

 

「ニンニク味噌とDDT」という段落がありました。

 

16歳から芝居を始め空襲を逃れて満州へ渡り、現地でも関東軍の指揮で慰問公演を続けた赤木春恵さん。戦後大混乱の満州ハルビンからはるばる歩いてやっと乗った引き揚げ船は、ようやく博多に着きます。赤木春恵さんが22歳のときです。

 

「船底には、ニンニク味噌の匂いが充満していたんです。それは私たちにとって貴重な栄養源でした。豚肉をフライパンで焼くとたくさん脂が出ますね。その脂にニンニクと味噌を入れたものです。当時はコーリャン御飯という赤い御飯しかなかったので、それにニンニク味噌をつけて食べていました。…」 

 

引き揚げ船が出る胡蘆島(ころとう)まで重い荷物を途中ですべて投げ捨てながら何日も歩き、多くの命が失われた道中ながらもようやく乗れた船内での栄養食がニンニク味噌。

 

使われた味噌は現地満州の味噌だったのか、日本と同じ味噌だったのかわかりませんが、語られる壮絶な戦争体験のなかで味噌が命をつなげていたとは。

 

戦争の話は苦手、としながらも語り継ぐ使命感も感じている赤木春恵さんのお話しは、戦争を知らない世代だからこそ知っておかねばならないことと改めて感じました。

 


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