瀬戸内麦みそについて、特徴、歴史、食べ方などを説明しています。
瀬戸内麦みそ

瀬戸内麦みそ


瀬戸内麦みそ

瀬戸内麦みその歴史

古代より瀬戸内海沿岸は製塩が盛んで、17世紀前半、江戸時代前期に入浜式塩田が開発されると良質な塩が内海路を通じて海上運送ができたこともあり、瀬戸内地方の塩は上方や江戸をはじめ全国を席巻し、国内製塩の中心地となりました。

 

当時の瀬戸内海産の塩を十州塩*と呼び、一大ブランドでした。

 

江戸近郊 下総国の行徳塩田(現在の千葉県市川市・浦安市・船橋市の一部)は、江戸城での有事の際に備えて家康に保護されましたが、十州塩が市場を占めるに従い市場を北関東に移したほどです。

   *十州とは長門(山口県)、周防(山口県)、安芸(広島県)、備後(岡山県)、備中(岡山県)、備前(岡山県)、播磨(兵庫県)、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)をさす。山口県防府市の三田尻塩田記念産業公園に塩田が復元されています。

 

瀬戸内海をはさんで、愛媛、山口、広島周辺地域は米みそ圏と麦みそ圏の交差するところとなっています。

愛媛県

古くは伊予国(いよのくに)の名で、天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって伊予国分寺、伊予国分尼寺が建立されました。

 

また延長5年(927年)にまとめられた『延喜式内社』には、霊験鮮かなる神への称号 名神大社(みょうじんたいしゃ)として、当地では大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)、ならびに伊予神社などが記されています。

 

瀬戸内海沿岸は耕作可能な平地が少なく、住民たちは山を開墾して段々畑を作り、痩せた土壌を下肥や海藻を人力で運び上げることで施肥し改良していきました。

 

 

 

はだか麦の生産量は現在、愛媛県が生産量日本一となっていますが、米を年貢として差し出していた時代に当地で最も身近にあった麦(はだか麦)を使い、おいしいみそをつくろうと考えぬいて出来上がったみそです。

 

江戸時代の大洲藩、宇和島藩の知行域にほぼ相当する南予地方(宇和島市、愛南町、鬼北町)と、松山藩の一部である松山市、伊予郡といった中予地方にみそ製造業社が点在しています。

 

 

山口県

室町時代、守護大名大内氏の城下町である山口は日本最大規模の4万人都市として盛え、雪舟、フランシスコ・ザビエル、連歌師の宗祇(そうぎ)などが訪れるほどでした。

戦国時代(1555年〜1557年)に安芸国から毛利元就に侵攻され、大内氏の周防・長門両国は毛利氏の領国となります。

その後、毛利元就は最盛期には中国地方と北部九州の一部まで領地を広げ、元就の孫の毛利輝元は秀吉下で五大老となりました。

 

 

しかしながら関ヶ原の戦い(1600年)で西軍石田三成方の名目上の総大将であったため、慶長12年(1607年)、毛利家は領国は周防・長門2国のみに減封。外様大名として長州藩(周防山口藩)を治めました。

 

東側を除く三方を海に囲まれ、その中央部を中国山地が横断しているため、沿岸部と山間部では気候や風土も異なります。

 

山口市、防府市といった瀬戸内海沿岸東部(山陽地域)と、下関市の日本海沿岸部と関門海峡周辺〜瀬戸内海沿岸西部(長門・関門地域)などの瀬戸内海沿岸地域にみそ製造業が点在しています。

 

 



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