『庭訓往来』は江戸時代には寺子屋などで手習い(習字)や読み本の庶民の子供向けの教科書として使われた書物で、室町時代前期に成立したものです。
僧 玄恵(?〜1350年)が著したといわれるが定かではありません。
12か月にわたって手紙のやりとり(往来)の形式をとり、月ごとに様々な事柄、生活で必要な単語、ことばづかいが書簡の中に書かれています。
5月の往信は主に食品類(加工品や保存食)で、その中に味曽、醤、鳥醤の字が見てとれます。
『庭訓往来』
棄捐せらる可からず、併ら参拝を期す、不具 恐々謹言
五月九日 左京進平
進上 蔵人将監殿 御舘
不審の処に、玉章忽に到来す、更に余鬱を貽すこと
無し、便宜を以て徘徊せられば、尤も本望に候也、抑
客人光臨結構、奔走察し奉り候、借用せらるる所の
具足等、所持の分に於ては、之を進じ候、燈台、火
鉢、蝋燭の台、注文に載せられず候と雖も、進ずる所也、
能米、馬の大豆、秣、糠、藁、味曽、醤、酢、酒、
塩梅、並に初献の料、海月、熨斗鮑、梅干、
削物は、干鰹、円鮑、干蛸、魚の躬、煎海鼠、
生物は、鯛、鱸、鯉、鮒、鯔、王余魚、雉、兎、鳫、
鴨、「白鳥」、「年鳥」、(鶉)、雲雀、水鳥、山鳥一番、塩肴は、鮎の
白干、鮪の黒作り、鱒の楚割、鮭の塩引、鯵の鮨、
鯖の塩漬、干鳥、干兎、干鹿、干江豚、豕の
焼皮、熊掌、狸の沢渡り、猿の木取、鳥醤、
蟹味曽、海鼠腸、「魚逐」鰭、鱗、烏賊、辛
螺、栄螺、蛤、「虫耆」交の雑喉、氷魚等、或は、之を買ひ「イ貳」り
或は之を乞ひ索め、進ぜしめ候、猶以て不足の事候はば
使者を給ふ可き也、恐々謹言
『新日本古典文学体系52 庭訓往来 句双紙』(岩波書店)より
〔おおよその意味〕
どうぞお見捨てにならぬように、万事お目にかかる時に 不備、謹んで申し上げます
5月9日 左京進平
進上 蔵人将監殿 御館
気がかりでいたところにお手紙を頂戴す、さらに心残りであること
なし、都合のよいつてをもってお越しなされば、もっとも望むところで候なり、そもそも
客人がお出かけになる用意、もてなしに奔走奉ります、お借りになられるという
道具一式など、こちらで持っているものについては、これをご提供いたします、燈台、火
鉢、ろうそくの台、あなたから御注文には記されていませんでしたが、お出しいたします、
玄米、馬の豆、秣まぐさ、糠ぬか、藁わら、味曽、醤ひしお、酢、酒、
塩梅えんばい、並びに初献の料、海月くらげ、熨斗鮑のしあわび、梅干ほや、
削物けずりものは、干鰹、円鮑まろあわび、干蛸、魚の躬み、煎海鼠いりこ、
生なま物は、鯛、鱸すずき、鯉こい、鮒ふな、鯔およし、王余魚かれい、雉きじ、兎、鳫がん
鴨、「白鳥」くぐい、「年鳥」たう、(鶉うずら)、雲雀ひばり、水鳥、山鳥一番ひとつがい、塩肴は、鮎の
白干、鮪しびの黒作り、鱒ますの楚割そはさき、鮭の塩引き、鯵あじの鮨すし、
鯖さばの塩漬け、干鳥、干兎、干鹿、干江豚ほしいるか、豕いのこの
焼皮、熊掌くまのたなごころ、狸の沢渡り、猿の木取り、鳥醤鶏肉を切って醤に漬けたもの、
蟹味曽、海鼠腸このわた、「魚逐」鰭うるか、鱗うろくづ、烏賊いか、辛螺にし、
栄螺さざい、蛤はまぐり、「虫耆」えび交わりの雑喉ざこ、氷魚ひお等、或は、これを信用買いしておいて
或いはこれを乞い求めてご提供いたしましょう。なおもって不足のことがありましたら
使者をよこしてくださいますよう、謹んで申し上げます。
室町時代初期に成立したといわれる『庭訓往来』。
当初は貴族、武士、僧侶の子弟教育向けだったといわれます。
成立した室町時代初期には、貴族、武士、僧侶にとって味曽、醤が当時、生活の中で当然のものだったから『庭訓往来』に書かれた、ということです。