『守貞謾稿』 江戸時代の百科書にある味噌

『守貞謾稿』 江戸時代の百科書

『守貞謾稿』 味噌の説明

 

 

 

『守貞謾稿(もりさだまんこう)』は、江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を書写した百科事典のようなものです。

 

喜田川守貞(1810〜不詳)が1832年(天保三年)から書きはじめ1867年(慶応三年)まで通算30年間執筆(挿絵も守貞による)。活字化されたのは1908年(明治41年)です。

 

前集30巻と後集5巻から成り、各巻ごとに時勢、生業、貨幣、男扮、女扮…と続きます。

 

後集1巻に味噌の説明があります。

 

『守貞謾稿 後集巻ノ一』 食類
 
味醤
今俗、味噌ノ字ヲ用フハ非也。味醤ハ、三代実録ニ見ヘ、又、延喜式神名帳、斎宮寮ノ条ニ、味醤一斗二升云々。
和名抄ニ、高麗醤ハ美蘇云々。俗用、味醤二字、味宜作未何則通俗文ニ有末楡芙醤、末者搗末ノ義也。
今世、京坂ノ市民、毎冬自制スル者多シ。其方大豆一斗。米麹、塩□升ヲ多クス。粗ニ搗製シ桶ニ蓄ヘ、食毎ニ雷盆ニテ搗テ、汁トス。
江戸ハ、赤味噌、田舎味噌ヲ買食シ、自製スル者無之。
 

 
味噌屋招牌也。京坂今モ有之。江戸ニ無之。唯、南伝馬町ノ味曽ヤ元結ト云。元結招牌ニ此形ヲ用フ。昔ハ、味曽買ニテアリシナラン。是ニハ、此図ト上下ヲ逆ニス。
雷盆ノ味噌ヲ取ル具ノ形也。此具、号テ「セツカヒ」ト云。又「ウヒクス」ハ、形ヲ以テ、号ク女詞也。
金山寺味噌、三都トモ有之……金山禅寺ヨリ造り始ムト云意ニテ、名トス。虚実詳ナラズ。大豆ニ麦麹ヲ合セ、砂糖或蜜ヲ和シテ、甘クス。茄子、紫蘇、生薑等ヲ交ヘタリ。
櫻味噌、大坂堀江阿弥陀池前、及丼池ニ専之店アリ、自家ニテ製シ、賣ル也。往々、近年ハ、江戸モ来ル也。製、金山寺ト相似タリ。
鯛味噌、近年、大坂淡路町、八百源、一名二重ト云割烹店ニテ、製之賣リ、江戸ニモ漕シテ、一二戸伝賣ノ店アリ。常ノ米麹味噌ニ、鯛肉ヲ磨交ヘ製シタル物也。
寺納豆、是モ味曽ノ一種ナルベシ。麦麹ノミソニ、砂糖ヲ交ヘズ、茄子、蕃椒、生薑等ヲ加ヘ、熟セリ。三都トモ、毎冬、菩提ヨリ旦那ニ贈ルノミ、用之。他不用之。専ラ寺ニテ製之也。本名、M名納豆ナレドモ、寺用専ラナル故ニ、寺納豆ト云。
銕火味曽ハ、江戸、平日用ノ味曽ニ、牛房、生姜、蕃椒、スルメ等ヲ加ヘ、胡麻油ヲ以テ煎リツメタル也。ナメモノ屋ニテ賣之。
 

『守貞謾稿 (第5巻)』より

 

片仮名交じりなので読めますが、おおよその意味は下記です。

 

〔おおよその意味〕
味醤
今俗に味噌の字を用いるのは正しくない。味醤は三代実録に見え、延喜式神名帳、斎宮寮の条に、未醤一斗二升云々とある。
和名抄に、高麗醤は美蘇云々、俗用、味醤二字、味宜作未何則通俗文ニ有末楡芙醤、末者搗末ノ義也。
今世、京や大阪の市民は毎冬に自家製で味噌をつくる者が多い。作り方は大豆一斗、麹、塩□升を多くする。粗く搗いて桶に蓄え、食事ごとに雷盆(すり鉢)で搗いて汁とする。
江戸は赤味噌や田舎味噌を買って食べ、自家製する者はない。

 [図 単純線だったので挿絵を模写しました。味噌屋の看板です]

 

味噌屋の看板である。京や大阪には今もある。江戸にはない。ただ、南伝馬町の味噌屋は元結という。元結の看板にこの形を用いる。昔は、味曽買であったのだろう。これにはこの図と上下を逆にする。
雷盆(すり鉢)の味噌を取る道具の形である。この道具は名づけて「セツカヒ」という。また「ウヒクス」は、形をもって、名づける女詞である。
金山寺味噌、三都ともこれは有る……金山禅寺より造り始めるという意味で名前とする。虚実は詳しくない。大豆に麦麹を合わせ、砂糖あるいは蜜を合せて甘くする。茄子、紫蘇、生姜等を混ぜる。

桜味噌、大坂堀江阿弥陀池前、及び丼池(大阪市中央区南船場にあった池)に専門店がある。自家製で、売る。往々、近年は、江戸にも来る。作り方は、金山寺と似ている
鯛味噌、近年、大坂淡路町、八百源、二重という割烹店で製造販売する、江戸にも舟輸送して、1〜2件の売店がある。通常の米味噌に、鯛肉を潰し加えて造ったものである。

寺納豆、これも味噌の一種であろう。麦麹の味噌に砂糖を入れず、茄子、山椒の実、生姜等を加え熟した。三都とも、毎冬、菩提(寺)より旦那(檀家)に贈るだけにこれを用いる。他には用いらない。専ら寺で製造する。本名、M名納豆であるが、寺用が専らであるために、寺納豆という。
火味噌は、江戸、平日用の味噌に、牛蒡、生姜、山椒の実、スルメ等を加え、胡麻油で煎りつめたものである。なめもの屋でこれを売る。

 

「味噌という字は正しくない。未醤が正しいのだ」と延喜式や和名抄も引用しながらも、本文はずっと味噌、味曽という漢字を使っています…。
各種味噌について説明があるのがうれしい資料です。

 

守貞謾稿』で引用された史料『延喜式』での未醤の説明はこちら
 『和名抄(倭名類聚鈔)』での高麗醤などの説明はこちら

 

ここにある金山寺味噌など嘗め味噌売りの荷姿の説明と図がありましたので次に続きます。

 

『守貞謾稿』 味噌売り

 

江戸時代、店舗販売は大店おおだなと呼ばれる大商店で、庶民向けには天秤棒を担いで売り歩きました。

 

『守貞謾稿』6巻 生業に、各種売人や荷姿の図があります。味噌に関係する売人の説明が下記です。
嘗物屋の箱には金山寺という字が読めます。

『守貞謾稿』巻之六 生業
 
 …
炭賣
古ヨリアル賣「與欠」。季寄ノ書ニモ賣炭翁ヲ戴テ、バイタンロウト訓セリ。今世、三都トモ、貧民小戸ノ俵炭ヲ買得ザル者、一升、二升ト、炭ヲ量リ賣ルノミ。是ヲ、ハカリズミト云。俵炭ハ、店ニテ賣之ノミ。
 
醤油賣
前同意。江戸ニテハ、酒も兼賣ルアリ。
 
塩賣
前同意
 
 
嘗物賣

 
漬物賣
京坂ニテ、茎屋、クキヤト訓ズ。昔ハ、大根等ノ茎漬ヲウリシ也。今世ハ、茎ノミニ非ズ。蘿根、蕪、菜等ノ塩一種ヲ以テ漬タルヲ、クキト云。又、大根ノ根葉トモニ、細カニ刻ミテ、塩漬ヲ刻ミ茎ト云。
蘿根全体ノマゝ漬タルヲ、長漬ト云。瓜、茄子等、塩、糠二種ヲ以テ、不日ニ浅漬ト云。
大根ノ葉ヲ去リ、乾テ枯テ後ニ、塩、糠ヲ以テ漬タルヲ、香々ト云、香ノ物トモ云。
 …
笊味噌漉賣
笊篭、味噌コシ、柄杓、杓子、水嚢、箒等ノ類ヲ賣ル。詞ニ「ザルヤミソコシ」ト云。或ハ、柄杓一種ヲ賣ルアリ。又、水嚢一種ヲ携へ、或ハ賣之。或ハ損ヲ補フ者アリ。
 [笊味噌漉賣の図あり]
 …
麹賣
米製ノ麹ヲ賣ル。専ラ、中秋以後、冬ニ至リ賣之。是、当季茄子ノ糀漬けヲ製ス家、多キヲ以テ也。麹筥、京坂ヨリ小形ニシテ粗製也。

『守貞謾稿 (第1巻)』

 

〔おおよその意味〕
炭売り
昔からあるか。季寄の書にも売炭翁を「ばいたんろう」と訓読みする。今日、京・大阪・江戸とも、貧民小戸で俵炭を買うことができない者には一升、二升と炭を量り売りするだけだ。これをはかり炭という。俵炭は店で売るのみ。

 

醤油売り 
前(炭売り)と同じ。江戸では醤油と一緒に酒も売ることがある。

 

塩売り
前(醤油売り)と同じ。
 [図中 醤油売り、塩売りはだいたい似ている]

 

嘗物売り
 [図のみ]

 

笊(ざる)味噌漉し売り
ザルやかご、味噌漉し、ひしゃく、しゃくし、すいのう(ふるい)、ほうき類を売る。呼びかけ詞に「ざるやみそこし」と言う。或いはひしゃく一種類を売るのもいる。また、すいのう一種を携えてこれを売る。あるいは破損・壊れを直す者もいる。
 [笊味噌漉売りの図は両天秤にザルやかごがたくさん積まれており模写できず]

 

麹売り
米製の麹を売る。もっぱら中秋以後、冬になってこれを売る。その年にとれた茄子の糀漬けをつくる家は、多く必要である。麹の箱は京都・大阪より小形で粗いつくりである。
 [図中 スノコに積む]

 

 

このほか、味噌屋の行燈(あんどん)の説明もありました。

 

『守貞謾稿』 味噌屋の行燈

 

『守貞謾稿』5巻 生業には各種店舗業の説明と図が載っています。
行燈の図が並ぶ中に味噌屋がありました。「せうゆ」とあるので醤油も売っていまるようです。

 

『守貞謾稿』之五 生業
 
行燈
 
京都諸賣、往々図ノ如キ行燈ヲ、一軒ニ釣ル店アリ。蓋、夜ノミ出之也。甚タ古風也。大坂及ビ江戸ニハ、更不用之。
 

『守貞謾稿 (第1巻)』

 

〔おおよその意味〕
 
行燈
京都の諸々の売り屋に多く図のような行燈を軒下に吊る店がある。
まさしく夜のみこれを出すのである。非常に古風である。大阪および江戸ではこれは用いない。

 

 

京都では夜用の看板に行灯を軒に吊っている店が多いそうですが、店を閉めた後の夜ということですよね。想像するにとても趣があります。

 

江戸では火事起こしは禁忌ですから行燈でも火は使えなかったと思います。

『守貞謾稿』 京都大坂の味噌屋

 

『守貞謾稿』では三都(京都・大阪・江戸)の世相風俗を描いていますが、江戸にはない味噌売りの姿があったようです。

 

『守貞謾稿』巻之六 生業
 
京坂ニ在テ、江戸所無ノ、市街ヲ巡ル生業ニハ、
 …
味噌屋
店ニテ賣ハ、三都トモニ在之、擔ヒ巡ル。賣ハ定扮ナシ。浅キ箱三五重ニ納ム。此賣京坂ノミニテ、江戸ニ見ズ。價十二文、十六文、廿四文、三十二文、四十八文、百文許以上ヲ数箇、「竹かんむりに擇」ニ裹ミ箱ニ納メ巡ル。蓋、嘗味噌等トハ別賣ニシテ、唯汁製味噌ノミヲ賣ル。京坂ハ、糀ミソノミ食之。特ニ麹多キヲ料理味噌ト云。食客等ニハ用之。此ニ品ヲ賣ル味噌製造ノ巨戸ヨリ、奴僕ヲ出シ賣ル也。故ニ、陌上ニ呼ズ専ラ得意ノ戸ニ問ノミ。

 

『守貞謾稿 (第1巻)』

 

〔おおよその意味〕
店で売るのは、三都ともにこれある、かついで巡る(のが江戸にない)。売るのは決まったいでたちはない。浅い箱三〜五重に納める。この売り方は京都大阪のみで江戸で見ない。値段は12文、24分、32分、48文、100文以上を数個、竹の皮に包み箱に納めて巡る。けだし、嘗味噌などとは別売りにして、ただ汁製味噌のみを売る。京都大阪は糀みそのみこれを食す。特に麹が多いのを料理味噌という。食客などにはこれを用いる。この2品を売る味噌製造の大きい家より、奴僕を出し売るなり。ゆえに、路上で売り声を出さずもっぱら得意客の家に御用聞きをするのみ。

 

 

これには挿絵がありませんが、天秤棒に重箱をかついで得意客の家を巡る売り方です。

 

 

 


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