『雁』 森鴎外 | 小説に描かれる味噌みそ

みそと小説『雁』 森鴎外

『雁』 森鴎外

 

『雁』 (新潮文庫)

 

 

作家、評論家、軍医だった森 鴎外(1862〜1922年)による小説。
雑誌『スバル』に1911〜1913年に連載され、廃刊によって中断されていましたが1915年に完成の日の目を見ます。 
森林太郎の署名で書き始めたのが49歳、完成したのは鴎外53歳のときです。

 

本書はいかにも美味しそうな味噌料理は出てきません。
しかしながら主人公 お玉の岡田への恋は、この小説の書き手が青魚の味噌煮が大嫌いだったがために儚くも散ってしまった、カギとなる料理なのです。

 

僕は下宿屋や学校の寄宿舎の「まかない」で飢えを凌いでいるうちに、身の毛のよだつほど嫌な菜が出来た。どんな風通しの好い座敷で、どんな清潔な膳の上に乗せて出されようとも、僕の目が一たびその菜をみると、僕の鼻は名状すべからざる寄宿舎の食堂の臭気を嗅ぐ。 (中略) そしてそれが青魚の未醤煮に至って窮極の程度に達する。

 

 

生まれてすぐに母を亡くし、貧困の中にも高齢の父親に大事に育てられ美しく成長したお玉は、親孝行のためと高利貸 末造の妾となります。上野不忍の池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいますが、散歩の道すがら家の前を通る医学生 岡田に恋をし、毎日岡田が通るのを楽しみに待つようになります。岡田も会釈を交わすように…。
毎日のように妾宅へやってくる末造ですが、一晩千葉へ出張するとのこと。千載一遇とばかり下女の梅も生家へ返し、岡田が家の前を通るのを待ちわびます。
僕は下宿で出された夕食が嫌いな青魚の味噌煮だったもので隣室の岡田へ、散歩がてら牛鍋屋へ行こうと声を掛ける。
二人で無縁坂に通りかかると、お玉が岡田を歓喜の目でじっと見つめ、通り過ぎてもなお玉はこちらを見続けている…。

 

 

"僕" が青魚の味噌煮が嫌いでなかったら。
その日の献立が青魚の味噌煮じゃなかったら。
岡田は一人で散歩に出て、お玉の恋は一時だけでも実ったでしょうか。

 

小間使いから高利貸になり上がった末造の抜け目のなさと末造の妻 お常のがさつさ、お玉の父親の実直さとお玉のはかなげな美しさとが対照的です。

 

鴎外が青魚の味噌煮(未醤煮となっていますね)をこれほど嫌ったのはもちろん味噌が嫌いだったのではなく、青魚のほうでした。
当時の物流事情からみて、とても青魚の鮮度はよろしくなかったようです。

 

東京大学周辺の湯島、上野不忍池、神田明神など今も残る地名が出てきます。
岡田が毎夕欠かさない散歩の一周は歩くにもずいぶん長距離だな、という気もしますが、電車や車で移動するのが当たり前になって距離感がわからなくなっているかもしれません。

 

これら地名と地図を見比べると、はるかに姿を変えた今日びからは想像も難しくなりましたが、雁が羽を休めていた不忍池、お玉が住まう無縁坂と時代の空気と哀感が漂います。

 


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