『ブラジルスイッチ』 山田スイッチ
青森のコラムニスト 山田スイッチ(1976年〜)氏の珍道中実話。2005年上梓。
帯文章にこうありました。
「サンマと味噌汁とコーヒーの店」を開くために、妻はブラジルへと旅立った。
TVで世界各地に住む日本人妻や日本食レストランを営む人の取材番組があります。
本書はそうした取材ルポか、何世代か前のブラジル移殖の取材ルポかと思って読みましたが全く違いました。
著者自身の20代の頃の実話です。ブラジルでサンマと味噌汁とコーヒーの店を開こうと、夫ケンさんを伴ってブラジルへ。
準備の段階からドタバタ。現地での珍道中。
現地調査も兼ねて日本から持参したサンマの開きやインスタント味噌汁を、青空の下調理して売りながらブラジル人たちの味覚を確認。
職員のオッサン2人は、いい顔をして親指を立てた。
「ボン。」
「ボ〜ン!」
そのインスタント味噌汁は、どこでも売ってるような顆粒の、お湯を混ぜたらできあがるわかめと豆腐の味噌汁だったが、試しに自分も飲んでみると、あまりのうまさに驚愕した。いつの間にやらブラジル料理ばかりを食べてた私の胃に、味噌汁は全身を駆けめぐるように、染み渡っていった……! 「ダシ」が全身を駆けめぐってる間、私はなんともいえぬ尊い気持ちになっていた……!
彼らの反応が概ね良好だったのがうれしいところです。
著者の中ではサンマの優先順位が高くて、現地で獲れるか手に入るかが第一。
ブラジルで獲れないならスペインで、という野望もあったようですが、2週間ぶりに帰国した日本のすばらしさに気づいて、そして夫ケンさんの限界もあって著者は現在、青森在住。
エダさんは、日本に帰ったら食べたいものを、
「ご飯にサンマ、梅干し、漬物、味噌汁」
と言っていた。エダさんはそれを言うたびに日本にいる母親に、
「アンタは安上がりな子だねえ。」
と言われるのだそうだ。
現地でお世話になった日本人女性のガイド、エダさんの話です。
サンマは日本人駐在員が多いサンパウロの特定スーパーでしか手に入らない。しかも目が赤くなったようなサンマ。
ブラジルのアジア系人口の90パーセントが日系人でも、南半球で獲れないサンマの流通は難しい。
味噌なら自家製もできるし輸送もしやすいですよ!と伝えたかったところですが、サンマや味噌汁のおいしさがブラジル人にも通じる嬉しさ以上に、やっぱり日本人のソウルフードはこれなんですね、と再認識できた内容でした。