『たぬき汁』 佐藤垢石
エッセイストで釣りジャーナリストの佐藤垢石(さとうこうせき 1888〜1956年)氏の随筆集。井伏鱒二『釣人』のモデルといわれ、月刊『釣り人』の創刊者でもあります。
食通と言われ、本書『たぬき汁』(1941年刊)はベストセラーとなりました。
会津の山奥から送ってきた狸を、木挽町の割烹店へ提げ込み、酒友数人、東京で代表的な料理人4〜5人を集め、狸公を食する会を催した。
順に狸肉のだんご、狸肉の油炒めトマト汁味、テキ、カツ、清まし椀、湯通し肉の和え物、最後は味噌汁。この6種の調理をなかなかいける、乙である、臭くて敬遠した、肉が硬くて歯が立たない、といった評価をし、味噌汁はだんごに次いで2番目のおいしさだったようです。
最後に禅の上に乗ったのが、味噌汁である。八丁味噌に充分調味料を加へ、狸肉を賽の目に切って泳がせたのであった。これは、結構であった。先年、虎ノ門で啜ったたぬき汁とは異ふ、軽く山兎に似た土の匂ひが肉にかほり、それが一種の風味となって私の食欲を刺戟した。
(中略)
十数年前上州花咲峠の奥の、武尊山の障壁に住んでいた野猿を猟師から買ひ受け、その唇を味噌煮にこしらへて食べたことがあるが、軽い土臭と酸味を持つてゐて、口では言ひ表せぬ魔味を感じたのであった。今回の八丁味噌のたぬき汁も、曾ての猿唇に味品が相通じてゐて、まことに快興を催したのだ。
こうした組合せでおいしく食べられたのは一流の料理人あってこそで、素人の家庭料理ではとても食べられたものにはならないかもしれない。だから大衆の代用食には適さないと結論づけています。
刊行されたのが1941年(昭和16年)ですから真珠湾攻撃と同じ年。悲壮感はまだ出ていませんが、狸のほかに別の会では銀狐の串焼きなどにも挑戦しています。
もっとも、この食事会の前に狸の餌となる森のどんぐりが清酒の原料になると新聞発表され、今後は落ちたどんぐりを集めると載ったものだから、猪や狸の餌がなくなってしまうと著者は心配しています。
引用文中の「虎ノ門で啜ったたぬき汁」は、虎ノ門のさる料亭で狸の試食会をやるというので出かけて行ったときのこと。
しばらく待つと、黄筋入黒塗の椀が運ばれてきた。なかは信州味噌を漉した味噌汁である。不躾ながら、箸のさきで椀の中を掻きまはしてみた。さつま芋の賽の目に切ったものが、菜味としてふんだんに入ってゐる。狸はどこにゐると、なほ丹念に掻きまはしたが狸肉らしいものがでてこない。それでも諦めずやつてゐると椀の底の方から、長さ曲尺にして五分、太さは耳かき棒ほどの肉片が二筋出ゝきた。これ即ち、今晩の呼び物であつたかと推察し、箸につまんで口中へ放り込み、つぶさに奥歯と舌 端で試味したのであつたが、これはまたほんとうに何の味も、素つ気もないものであつた。
これがほんとうに狸の肉だったかもわからないが、ここまで煮だしてあくを抜き狸の特徴の土臭さを去ってしまっては何の変哲もない汁だ、と食通ならではの食の楽しみ方はさすが。
代用食としての狸肉の調理法がメインの随筆ですが、八丁味噌で仕立てたたぬき汁が賞味に値するものだったのはうれしいところです。味噌漬けだったらもっと良かったのかも、なんて思います。