「味噌とゲーテと」 寺横武夫
『おやじの値段―’87年版ベスト・エッセイ集』 (文春文庫)
1986年(昭和61年)中に発表されたエッセイの中から応募され、日本エッセイスト・クラブの選考員全員が読んで選定されたもの。
「味噌とゲーテと」というエッセイが入っていました。著者は滋賀大学教授(当時)の寺横武夫氏で、「滋賀大学附属図書館情報 四号」に発表されたものです。
エッセイといいながらも、ゲーテに傾倒し、1964年(昭和39年)地上7階地下1階の東京ゲーテ記念館を渋谷の神泉町に竣工してしまった実業家 粉川 忠氏(1907〜1989年)の情熱っぷりが書かれています。
ゲーテに関する書物や資料を集めるがために、ゲーテでは金もうけはしないという信条のもと、味噌漉し機を発明していくつもの特許を取得し、味噌製造機メーカーとして精工社を軌道に乗せた実業家の粉川 忠氏。世の中がどうなってもなんとかやっていける食糧を仕事に選びました。
当時は家庭で味噌を擂っていましたが、味噌漉し機が開発されたことで機械でなめらかな味噌にできるようになったわけです。
粉川氏が茨城師範学校を首席で卒業したのは1927年(昭和2年)です。代々村長を務める名家に生まれ、兵役を免れる教職にもつかず、一生かかってもゲーテの図書館をつくろうと決意した粉川氏の資金源は、味噌漉し機でした。
東京ゲーテ記念館は神泉町では手狭になったため、1988年に東京都北区西ヶ原に移転しましたが、世界でも指折りといえるゲーテの私設資料館の裏側に、日本の味の代表といえる味噌の製造機があるとは、その組合せに驚かずにいられません。
粉川忠氏をモデルにした伝記小説に、阿刀田高氏の『夜の旅人』 (文春文庫)があります。