『ライカと味噌汁』 田中長徳
写真家の田中長徳たなか ちょうとく(1947〜)氏の2005年上梓の著書。
副題に ライカが見た東京 とあるように、ライカで撮影した1960年代後半からの当時の東京の写真がいくつか掲載されていて、車も閑散と少ない銀座通りや都電の線路、黒川紀章氏が設計した中銀カプセルタワーの姿など、現代に至るまでの時代の様子が見られておもしろい。
ライカについての本です。
東京は文京区音羽出身の田中氏の学生のころの朝食が、
トースト、目玉焼き、サラダにネスカフェのインスタント。それに味噌汁である。これも毎日変化なし。
60年代後半で朝食がトーストって、おそらくポップアップ型の電気トースターが50年代半ばで出てきた頃ですから、かなり新進スタイルの朝食なのでは、と思います。それでも汁物はクノールのインスタント(といっても鍋でつくる)スープではなくて、おみそ汁。
当サイトとしては、トーストの朝食に味噌汁と聞くと「おぉ?!」とちょっとうれしく思いますが、氏にとって当時のおみそ汁は必ずしもうれしいおいしいという思い出ではないようです。
戦後復興を象徴する東京オリンピック(1964年)前後の東京は突貫工事で表向きの姿だけ繕うように見えた著者。
朝食に必ず食していた味噌汁に、自分には味噌汁の血が流れている東洋人と自覚しつつ西洋に対するコンプレックスも感じる著者。高価で高性能なライカは西洋の象徴です。
卑近な味噌汁と高価なライカは異質なものですが、時代の変遷とともに今やマンハッタンの和食レストランの味噌汁は田舎みそ、仙台みそ、赤だしが選べるとか。
「ライカに追いついた味噌汁」という表現がありましたが、時代を見てきた著者が味噌汁を東洋人、日本人を自覚させるものであるとともに、最終的には日本人としての誇りも感じさせるものになり得たことが感じられ、うれしく感じました。
いくら寿司が外国人にとって和食の代表であっても、”ライカと寿司”ではタイトルになり得なかったでしょう。近年でこそ回転したり機械にぎりの寿司で安価になったけど、あくまでも著者の世代の寿司は高級品で、”寿司でできた東洋人の血”とはならなかったでしょうから。
あまりおいしいと思えていなかったけど毎日必ず食していたおみそ汁が自分の体となり血となっている。よそ行き(ハレ)の食ではなく、当たり前の家庭の日常(ケ)食、庶民の味だからこそ、そんなおみそ汁がマンハッタンのレストランで自分好みにみそをセレクトしてカスタマイズできるメニューにまでブランド化されているのは著者にも誇りであるに違いありません。