三ケ島葭子 が詠んだ味噌みそ

三ケ島葭子

短歌 三ケ島葭子が詠む生活の中の味噌

 

明治から大正に生きた女流歌人の三ケ島葭子(みかじま よしこ 1886〜1927年)。

 

埼玉県入間郡 (現在の所沢市堀の内)に生まれ、現 あきる野市五日市小学校の代用教員をしながら与謝野晶子の門下に。その後、「アララギ」などにも短歌を発表し、島木赤彦の門下となりますが、親友 原阿佐緒とアララギの重鎮 石原純との恋愛問題の論文を発表したことから破門となった。
波乱と貧しさの中に詠む生活短歌が特徴です。

 

 

1918年(大正7年)作と思われる。すでに胸を病み、祖母が手伝いと看病を兼ねて麻布谷町の葭子の家に来てくれています。夫となった倉片は幼稚でわがまま。平穏な暮らしを求めています。

口苦くわが病むあした霜きびし祖母は厨に味噌すりたまふ 
                      三ケ島葭子

 

『今日ある命―小説・歌人三ケ島葭子の生涯』大原富枝より

 

 

葭子の夫は仕事で大阪に赴任し、一人暮らしとなって肩の荷が下りたときに仙台にいた原 阿佐緒が二階に住むようになった1920年(大正9年)の歌。

わが病めばすべなし街のわびずまひまだ馴れぬ友の味噌買ひにゆく 
                      三ケ島葭子

 

『今日ある命―小説・歌人三ケ島葭子の生涯』大原富枝より

 

 

胸の病、アララギからの破門、弟の死、夫 倉片が愛人と二階で同棲、関東大震災…。不自由な身体に不如意な生活の中にも、自分なりの歓びを見出して大切にしています。
1925年(大正14年)に詠んだ歌。

味噌汁の今朝はうれしも大根の千六本の細かく切れたり 
                      三ケ島葭子

 

『今日ある命―小説・歌人三ケ島葭子の生涯』大原富枝より

 

薬代と栄養食のために着物を質に入れながらの生活で、食事の歌がほとんど見られない中で3首ですが味噌や味噌汁が詠われています。

 

三ケ島葭子の日記を基に小説化した『今日ある命』から抜粋させていただきました。

 


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